暮らしを支え続ける
15地域とともに歩んで約70年。これからもライフラインを預かる使命を胸に。
市民のライフラインを支えるためのパーツは、大小様々。倉庫には整然と材料が並んでいる
地中に埋まっている水道管や、建物の空調・給排水といった設備。
日常生活の中ではなかなか目に付かないけれど、これらは電気やガスと同様に、生活の基盤となるライフラインの一つ。
市民が安全で快適に過ごすために、なくてはならない“血管”のようなものだ。
この分野で、長年に渡り富良野の発展に尽力してきたのが後田設備工材株式会社。
創業は昭和25(1950)年。
井戸掘りの仕事から始まった会社も、今は冷暖房や空気調和、給排水衛生設備の設計施工まで幅広く行う。
昭和25年に創業し、昭和46年に会社組織に。上下水道の水回り工事を中心に、公共事業も多くの実績を積み重ねてきた
手掛けてきた施設は、小中学校や高校、警察署、複合商業施設「フラノマルシェ」など、富良野市民に欠かせない場所ばかり。
一般家庭の水回りや冷暖房の修理も担っており、地元では親しみを込めて「うしろださん」と呼ばれる。
櫻木社長のお子さんは3人とも独立し、皆すぐに会える距離にいるそう。机上には5人の可愛いお孫さんの写真を飾っている
「我々が一番大切にしているのは、とにかくお客さんを大事にするということ。会社を一代で築いて、50年も牽引してきた会長の教えなんだよね」
そう話すのは、3年前に3代目社長に就任した櫻木裕行さん。
高校2年生の時に一家で富良野に移住し、一度埼玉県の企業に就職してから25歳でUターン。
以来37年間、この会社とともに歩んできた。
情報収集にも余念がない社長のデスクは、無駄なものがなく片付いている
櫻木社長が「会長」と呼ぶのは、今年1月に亡くなった創業者の後田 豊前会長のことだ。
生前の仕事に対する姿勢を櫻木社長は間近で見てきた。
「すごく厳しい方だったよ。特にお客さんとの関係づくりに対しては」
先人が長い時間をかけて信頼関係を築いてきたからこそ、子や孫の代になっても「うしろださん」への信頼は厚い。
「水回りが詰まったとか、ボイラーが点かないとか、何か困りごとがあったらうちに声をかけてくれるお宅も多くて。うれしいよね」。
北海道や、富良野市・中富良野町・占冠村といった役所の仕事が中心ではあるが、長年続く個人のお客さんも大きな財産だ。
創業時からの心得を大切に、社員には「信用が一番」と伝え続ける。
「少子化の時代に入っても、我々の商売はなくならない」と櫻木社長。これからを担う若い力を求めている
目下の課題は、技術者の人材不足。業界全体が同じ悩みを抱えている。
富良野の暮らしを支え続けるため、この先を担う人材を育てていきたいが、「高校卒業後は富良野から出て行っちゃう子が多くて」と残念そうにつぶやく。
趣味はゴルフと魚釣り。特に魚釣りは毎年9~10月に網走まで鮭釣りに出かけるほど好きで、「この時期のゴルフコンペは全てキャンセル」と笑う
設備工事は業務が幅広く、技術も知識も覚えることは多い。
「簡単なことじゃないけど、先輩の仕事をちゃんと見て、自分で実践していける人であれば未経験でも全然心配ないのさ。
この仕事に精通できれば、技術は一生モノ。
それに、工事が終わって完成したのを見るのは、何よりうれしいんだよね」
社長自身が未経験からの叩き上げだからこそ、現場の大変さもやりがいも十分に知っている。
一般家庭の水回りの修繕では、「家の方に感謝される上に、自分の経験にもなるのでうれしいです」
勤続5年になる川原 崚さんの入社のきっかけは、学校に来ていた配管工の求人だ。
「どんな仕事か分からないけど、やってみたいなと思ったんです」
最初は、手の空いている先輩に配管の種類や材料を教えてもらったり、現場についていって仕事の様子や作業の流れを知ることから始まった。
パイプにねじ山を付けていく「ねじ切り」という加工作業
1カ月ほど経ち、初仕事でマンションの建築現場に出ると、何をどうしたらいいのか、まったく分からない。
ぼう然と見ているだけの川原さんに先輩が指示を出すが、道具さえうまく使えなかった。
最初から出来るとは思っていなかったけれど、まさかここまで自分が何も出来ないなんて…とショックを受けたという。
実は入社前は、一般家庭で水回りの修理をするだけだと思っていた川原さん。
しかし実際には建築現場で穴を掘って、配管する仕事が多かった。
「想像と違って大変だったし、正直、自分には続かないかも…と思ったこともありました」
それでも、仕事が分かるにつれ責任感が生まれてきた。
「自分がやらなきゃ、誰がやるんだって」
樹脂管や金属管を配管する際には、さまざまな工具を使い、設計図に合わせてパイプを切ったり曲げたりする
現場の一員として工事を滞りなく進める責任もあるし、生活の一部である水回りを支えているという自負もある。
入社してから、配管技能士の2種免許を取得した。
今は図面を見れば、どの材料がどれだけ必要なのかも、作業の段取りも分かる。
そのうち一人で現場に出ることになれば、何でも自分で判断して進めなければならない。
「建築現場には、大工さんもいれば電気設備工事の技術者もいます。
例えば自分が配管を持ってきたい場所は、コンセントを付ける場所かもしれない。
だから互いの進捗確認や連絡調整も欠かせないし、スケジュールや資材の管理も必要。
今はまだ自分の作業に集中してしまって、現場の進行具合とかに目が行き届いてないんです。
もっと全体を見られるようにならないと」
もの静かな印象の川原さん。実は11年間続けてきた柔道は2段の腕前。社会人になってからは北海へそ踊り保存会に入会し、伝統文化の伝承活動も行っている
話の端々から、とても真面目な性格が伝わってくる。
「そもそも、一から十まで教えてもらうという仕事じゃないんです。
自分が11年間やっていた柔道もそうなんですが、『人の技を見て盗む』という姿勢でするもの。
現場を見てても、技術を自分のものにするんだって食らいついていく人が多いし、そうあるべきだと思う」
倉庫できびきびと、材料の準備が進んでいく
後輩を迎えるなら、仕事に対して真面目に取り組める人、そして先輩技術者の作業をしっかり見て、自分で何をしたら良いか考えられる人に来て欲しい、という。
始業は朝8時だが毎日7時半には出勤。
まだ一人前ではないのだからと、早く仕事の準備をして、少しでも早く現場に出ることを入社以来心掛けているそう。
事務方一筋29年の林さんは、家では自衛隊に勤務する長男と高校2年生の娘を持つ父。「娘の送り迎えとか、土日は家族優先のスケジュールを勝手に組まれてます」と笑う
その川原さんを「おとなしいけれど、根性はあると思う」と、事務方の立場から目をかけているのが総務課長の林浩幸さん。
1カ月程前に取締役に就任したのは「たまたま空席が出来て、私がなっただけ」と笑うが、
事務方として29年間社内を支えてきた。
総務の仕事は、経理をはじめ社会保険や雇用保険の手続き、材料の仕入れや在庫管理、現場に必要な書類の作成など幅広い。
3人の女性社員たちと共に、業務がスムーズに回るよう、陰ながら現場をサポートする存在だ。
「うちを選んで来てくれた社員を大切にしたい」と、社員みんなとフランクに接する。年に3回は会社の倉庫で焼き肉を囲んで親睦会も開くそう
工事に関わる技術的なことは専門外だが、
「事務の仕事だけ分かっていればいい、というものではないんです」と林さん。
事務所には「トイレを換えたい」「配管材が欲しい」と、直接お客さんが訪ねてくることもある。
担当者がいない時は、簡単な配管加工なら自分で機械を使って対応するし、場合によってはお客さんの家にトイレのカタログを持参して、ある程度話を進めてから現場担当者に引き継ぐこともあるそう。
この業界の技術は日進月歩。「1回覚えてもそこで終わりじゃないから、現場の担当者は僕ら事務より大変なんですよね」
事務方でも技術を学ぶ場面があるのかたずねると、
「入社したてのころ、『ちょっと見てこい』って先輩に連れられて現場に出されたりしたから、少しは見てたんですよね」
とのこと。
機械の使い方も、覚えるように指導されたわけではなく、なんとなく見よう見まねで出来るようになった。
「現場の仕事のことも多少は分からないと、お客さんと話ができないからね。浅くではあるけれど、少しは勉強して分かっているつもりです」
社長室からフットワーク軽く事務所に出向く社長を交え、現場の打ち合わせが進む
求人も林さんの担当業務の一つ。
学校回りはしているが、櫻木社長の話と同様に、やはり進学や就職で富良野を離れてしまう生徒さんが多く、苦戦しているそう。
面接の際には、林さんも記録係として同席する。
「想定問答のシミュレーションをしっかりやっている生徒さんが多いので、だいたいは形式ばった答えしか返ってこないのが残念。
例えば休みはあるの?とか給料はいくら?といったことでもいいから、自分から積極的に聞いてくる、元気のいい子がいいですよね」
入社後は、資格取得のための費用はすべて会社で負担し、試験前の講習にも行かせてくれる。
「会社で技能の練習もできるから、資格取得のための環境はしっかり整ってますよ」
富良野市民の暮らしを支える仕事に誇りを持ち、それぞれの立場で日々の業務にあたる
社内は役職や社歴にかかわらず、フランクにコミュニケーションが取れる雰囲気。
上下の垣根がないこの場所なら、未経験でも気負わずに仕事が始められそうだ。