アウトドアスポーツを通して、富良野の魅力を発信
お客さまの笑顔がモチベーションの源
「遊び屋」の心臓部であるツアーデスクは、ゴルフセンターとバッティングセンター、熱気球フライトエリアの中心で、動き続けている
春から秋はラフティングやキャニオニング、冬は熱気球フリーフライトやスノーモービルと、ワクワクするアクティビティが満載の富良野。
富良野リゾート興産のレジャーガイド「遊び屋」にも、年間を通して10万人以上の旅行客がやって来る。
故郷はネパールの中でも川に近い地域で、ラフティングは身近なスポーツだった。始めたのは13歳の頃。15歳からアルバイトでガイドのようなことをしていたという
ラフティングボートを積み上げたトラックが向かうのは空知川。
エキサイティングな川遊びを案内するタパマガラ・アミックさんは、ネパール人のツアーガイドだ。
20代半ばながらラフティングのキャリアは長く、10年以上。遊び屋には2012年にアルバイトで入り、2014年に社員になった。
ラフティングは夏が中心だが、冬も回数は少ないもののウィンターラフティングを行っている
アウトドア関係全般のガイドのほか、英語力を活かして外国人客のサポート役を務めるアミックさんは、日本語もペラペラ。
目鼻立ちもあってか「沖縄の方ですか?」と7回くらい聞かれたと笑う。
「日本語を覚えることは僕にとってチャレンジでした」とアミックさん。日本人に間違えられるほどだが、本人は「まだまだ」と満足してない
「僕はもともとアウトドアスポーツが好きなので、仕事はとても楽しいですね。毎日いろんな人に会えるし、新しいことにもチャレンジできます」と、アミックさんは意欲的だ。
松下隆裕社長が人を採用する基準は、ただ1つだという。
「この人と一緒に仕事がしたい」。
そうインスピレーションが働けば、即採用。
学歴も過去の経歴も関係ない。
素人ではわからない微妙な天候や風の変化も察知して、アクティビティを中止することも。自然相手だけに、賢明な判断と勇気ある撤退も安全確保のためには欠かせない
営業部主任でツアーリーダーの古塚敦詞さんも、8年前にそうして採用された。
「実は僕、アウトドアスポーツはまったくの未経験だったんです」
関西出身で、北海道には「いつか旅行で行けたら」くらいのイメージしかなく、応募もたまたま。
それでも採用されたのは、松下社長のインスピレーションがピピッと反応したからだ。
熱気球の熟練パイロットでもある松下社長。入ったばかりのスタッフには「先輩と同じように動かなきゃと自分にプレッシャーをかけないで、できることからやりなさい」と話している
今でこそ古塚さんは、熱気球のパイロットとラフティングガイドの資格を持っているが、資格を取ることを社長と直属の上司に勧められた当初は「僕にはできない」と思い、断ったという。
実は、入社して最初にトレーニングを受けたラフティングで、誰よりも技術の習得に時間がかかっていたのだ。
「そのときも上司が辛抱強く付き合ってくれて。資格にチャレンジしたときも、ずっと背中を押し続けてくれたおかげで取ることができました」
「僕がそうだったように、未経験でも続けていれば資格も取得できて、スキルアップにつながります」と古塚さん
中堅社員となった今では、ツアーガイドの一方で、会社にとって重要な修学旅行の営業から準備、滞在中の管理までの一切を仕切る古塚さん。
古塚さんの仕事の8割は修学旅行関連。「生徒さんたちの笑顔を見たり、先生や旅行会社の方からお礼の手紙をいただくと、モチベーションが上がりますね」
松下社長は言う。
「古塚だけじゃなくて、彼の上司の常務自身も最初は不器用でね。アウトドアスポーツのセンスがなかった。でも、二人はちゃんとキャリアを積み上げて、会社に無くてはならない戦力になったんです」
スタッフに望むことは、キャリアをきっちり積んでいくこと。
「素晴らしいガイドに育つためには、運動能力よりもそのことが大事だと、僕自身も仕事を通して学習させてもらいました」
ラフティングボートをトラックに積んで、準備完了。中央が松下社長、左から2人目が勤続8年になる古塚さん
「上手か下手かの差はあっても、他人にできることは自分にもできる」
これも松下社長の持論。
「やったことがないからできない」のではなく、「やってみれば結構できるな」ということを感じてほしい。
それは自分自身の経験からくる言葉だ。
遊び屋の原点でもあるゴルフセンター。「あの電柱も、あのネットも、始めた当時に僕が自分で立てたり張ったままなんです」と松下社長
20代のころ、東京から故郷の富良野にUターンしゴルフ練習場を始めたが、資金がなかったため、借りた土地に、買ってきた古い電柱を自分一人で立て、ネットも自分で張って形にした。
「若かったからねぇ。大変だったけれど夢中でしたね」
次の年には中古で買い受けたバッティングセンターの施設を移設して営業を始め、冬の仕事を創りだすために小さなスノーモービルを購入。
こうして、「遊び屋」の基礎ができたという。
東京の大手建設会社に勤めていたが、「人生は1回だから、好きな仕事をやろう。失敗しても成功しても全部自分にかかってくるほうが能力を発揮できる」と考えて、富良野にUターン。ゴルフ練習場を始めたという
登録商標にもなっている「遊び屋」は、25年前に付けたブランド名だ。
業績も上がり、それから5年後には株式会社に。
体験メニューを増やして、12〜13年前から年間を通じて仕事を確保できる状態になり、スタッフの収入も安定。
季節労働的な面が強いアウトドア業界ではめずらしい「妻帯者の多い会社」に成長した。
そうなれた背景には、松下社長の強い信念があった。
「ここのガイドさんたちには、富良野という町で1年間しっかり仕事をさせてあげたかった。つなぎのバイトなどをしなくてもいい状態にしたかったんです」
客足に波はあっても1年間みんなが食べていけるだけ稼げて、経費が抑えられるようにしよう。
スノーモービルだけで120台を保有しているのも、そう考えた結果。
機材や道具、それらを保管する倉庫まで、すべて遊び屋の自前。メンテナンスもガイド自身が行うことで経費を抑え、スタッフの収入に還元している
ラフティングボートや気球などの機材、ヘルメットや救命胴衣など、膨大な道具類のために、保管料のかからない自社倉庫も用意した。
初期投資はかかっても、日々出て行く経費は抑えている。
また、ツアーガイドは機材のメンテナンスも自分で手がける。
「そうすれば、本来は外部に出て行くお金をスタッフに還元できます。それに、メンテナンスができると、ガイド中のトラブル発生時も応急処置ができるというメリットもあります」
ボートにエアーを入れて、子どもも参加できるファミリー・ラフティングの準備を進める古塚さん
古塚さんは新人社員に「アクティビティのほかにコンドミニアムもやっているので、1つの仕事に固執しないで、いろんな仕事に積極的に取り組んでほしい」と話している。
得意か不得意かは、やってみた上での話。
ジャンルを問わず、いろいろな仕事を経験した人は、話題が豊富になりトーク力も磨かれ、ガイドとしての幅が広がる。
遊び屋が所有する熱気球は5機。春から秋は係留フライト、冬は空中散歩を楽しむフリーフライトを実施している
この仕事で一番のやりがいは何ですか?
別々に話を聞いたにもかかわらず、アミックさん、古塚さん、そして松下社長、3人の答えは同じだった。
お客さまから「ありがとう」「いい思い出ができました」と言われること。
「お客さまから笑顔をいただこうと思って一生懸命にやってきたから、ここまで続いてきたんだと思います」と松下社長。
古塚さん(左)やアミックさん(右)が、松下社長(中央)に寄せる信頼はあつい。「社長もスタッフもみんな、家族的で大好きです」とアミックさん
お客さまからもらった笑顔は、自分たちを笑顔にし、そして自分たちの家族も笑顔にする。
そんな「笑顔の連鎖」が、遊び屋のモチベーションの源なのだと感じた。