自分の仕事が「地図に残る」という達成感
道をつくり、橋をつくり、地域の発展に心を配る
富良野市郊外にある大北土建工業の富良野統括事業所。市街地にある本社とは別に、富良野と中富良野の二ケ所に統括事業所があり、工事部社員はどちらかにデスクを持ち会議をしたり、進行中の工事現場作業所のサポートなどを行う
1944(昭和19)年の創立から70年以上、地域の人たちに「たいほくさん」と呼ばれ、親しまれてきた大北土建工業。
1994(平成6)年に創立50周年を記念して立てられた「魁(さきがけ)」の碑には、過去に工事で亡くなられた方々への鎮魂の思いも込められている
毎年、創立記念日の4月11日には1年間の事業計画が発表され、安全を祈願、社員が一同に会する懇親会も行われる。
「橋をつくりたい」とこの道をめざした村松さん(右)。仕事も頑張るが、冬のオフにはスノーボードを楽しみたいとも思っている
2016年に初めてこの日を迎えた札幌出身の新入社員、村松 海さんは「橋梁をつくりたい」という夢をずっと持っていた。北海道科学大学で都市環境学科を専攻し、土木工学を学んだのも夢の実現のため。
「大学に入った頃は、木や花を植えたような自然環境に調和した橋をつくりたいと思っていました」と村松さん。しかし、勉強するうちに耐久性の大切さを知り、環境にマッチしながらも長く安全に使われる橋をつくりたいと思うようになった。
大先輩である現場代理人の河内さんの指導を受けながら作業をする村松さん(左)。事故や重機との接触、災害などに気を配るようになったという
目標は1級土木施工管理技士を取ること。まずは、3年後に2級の資格取得にチャレンジするつもりだ。
勉強は会社でも家でも。入社してすぐに配属された、かなやま湖の橋梁建設の現場も大切な学びの場だ。
かなやま湖の橋梁工事の現場では杭基礎を打つ準備が進んでいた。完成すると、大きくカーブして遠回りになっていた道道の一部が真っすぐにつながる
大北土建工業では村松さんのような新卒社員のほかに、1年制の専門学校に通った後、正社員として雇用される「育成社員」も2年前から募集。
学びながらお給料がもらえ、正社員の道が開かれている育成社員に、2016年度は大北グループ全体で4人が採用されている。
地点間の距離を測る「測量」は土木の基本。先輩の村松さん(左)が、測量機を扱う工藤さん(右)にアドバイスする
その一人、中富良野町出身の工藤基紀さんは富良野高校を卒業して入社。専門学校の夏休み中は、村松さんと同じ現場で実務を学ぶ。
工藤さんは土木施工管理技士の父に憧れて、この仕事に進もうと決めた。憧れたきっかけは、父と出かけたドライブ。
「峠を走っていた時に、父親が『この道、オレがつくったんだぞ』って得意げに話していて。僕も、そんなふうに自慢できる仕事をしたいなと思ったんです」
隣で聞いていた村松さんも「そういう気持ちは自分にもある」とうなずく。
10代から40代まで、幅広い年代が一緒に仕事をする現場。若い世代への期待も大きい
大学では応用化学を学んだという片山工事部長。「専攻はまったく違ったけれど、外で働くのが好きだったので土木の道に入りました」
工事部長の片山貴大さんは、若い人たちに「手がけた橋や道路が完成した喜びを感じてほしい」と話す。
平面に描かれた図面が立体化し、実際に形になっていく時の感動。
片山さん自身も、現場を管理する現場代理人を務めた占冠の赤岩大橋など、携わった数々の仕事で感じてきたことだ。
工藤さんも村松さんも経験を積んで、いずれは現場代理人になる。
予算の管理も現場代理人の大事な仕事。「安全・品質・予算の3つをうまく行かせるところにも、現場代理人のやりがいがあります」と河内さん
かなやま湖の現場代理人を務める河内康浩さんは、「土木の仕事は、現場でしか学べないことがとても多い」と話す。
ベテラン作業員から教わることも多く、自分も若い頃はよく怒られたという。
しかしそれも、すべては現場の「安全」のため。場合によっては命に関わることもある仕事だけに、相手も真剣なのだ。
笑顔で二人を見守る河内さん(中央)。「冬の寒さや足元の滑りやすさなど、季節で変わる危険性をワンクール体験すれば、経験値も増えてぐっとレベルアップすると思います」
今の現場は昔と違って安全性がしっかり確保されているが、新人のうちは重機や人の動きが見えていないため、周囲がヒヤッとする場面もある。
とはいえ、自分たちは経験年数にかかわらず、現場を管理する立場。
「村松君も工藤君も、安全のルールを守るのはもちろん、危険性に気づいたら自分から作業員に伝えることも大切な仕事だと心に留めてほしいですね」
「入社したての頃は、作業員と一緒に汗水流して働くというスタンスが必要」など、自らの経験も踏まえて丁寧に指導する片山工事部長(右から2人目)
リスク管理と同様に、工事のやり方も昔に比べて遥かに進んでいる。例えばブルドーザーなどはCADデータの図面を読み込ませ、GPSから信号を受信して自動的に3次元で動いていく。
求められるスキルが今と昔ではまったく違うが、それでも「現場で必要な勘や感覚は変わらない」と片山工事部長はいう。そして、それを磨くには現場での経験と日々の勉強が欠かせない、と。
勘や感覚と同じように、どんなに機械や仕事環境が進化しても変わらず必要なのがコミュニケーション力だ。
年上の作業員も動かさなければいけないし、役所との折衝もある。さまざまな年齢層の人と関わる仕事なのだ。
富良野市郊外にある富良野統括事業所が村松さんのオフィス。現場に向かう前、工事予定表や図面で、今日の作業の流れを確認する
職員たちの朝は早い。管理者という立場上、作業員より早く現場に行く必要があるからだ。
「入社から3ヵ月経って、早起きできるようになりました」と村松さん。「実は朝が苦手だった?」と聞くと、照れたように「はい」と答えて苦笑い。
しかし今は毎朝5時半に起きて、昼食の弁当も自分でつくって出勤している。
工藤さんは、夏休みが終わって専門学校に戻れば、再び勉強とテストに明け暮れる日々が始まる。通常は2年で履修する教科を1年でクリアするため、遊んでいる暇はない。
かなやま湖の現場にて。右から、片山工事部長、工事課長補佐の壽浅さん、工藤さん、村松さん、専門学校生で実習に来ていた村松さんの弟、現場代理人の河内さん
橋をつくりたい、村松さんの夢。
自分がつくったと胸を張れる仕事がしたい、工藤さんの憧れ。
「完成の喜びを感じてほしい」という片山工事部長の願いは、そう遠くない時期に二人も実感するに違いない。
そして河内現場代理人が言った「自分がつくった橋や道路は、のちのちまで地図に残る」という言葉。
ロマンが感じられるこの言葉に、土木の仕事のやりがいを見た気がした。