共に助け合い、人も会社も成長していく
「地道にコツコツ」が大きな実となる
アンパンマンショップの前には、キャラクターの石像がずらりと並ぶ。水遊びもでき、地元では公園感覚で市民が集う
標高500メートルの高台にある麓郷展望台。色とりどりの花畑の向こうには「北の国から」の舞台となった麓郷一帯が見渡せる
富良野市郊外の麓郷にある共済農場が経営する「ふらのジャム園」。
広大な敷地には特別栽培・有機栽培に取り組む農場や、ジャム工房、アンパンマンショップ、富良野の風景と花畑が美しい展望台があり、観光スポットになっている。
緑が生い茂る森の中に現れる「ふらのジャム園」は小さな集落のよう。2015年春には、ジャム工房がリニューアルした
中でも有名なのが、“ジャムおばさん”の愛称で知られる代表の大久保嘉子さんらが、機械に頼らず手作りする無添加のジャム。
2015年の春にジャム工房をリニューアルし、60種類以上のジャムや農作物の加工品をそろえた。
また、店内にカフェを作り、食事やスイーツの提供も始めた。
ジャム工房内にも、やなせたかし先生の魅力を紹介するコーナーを設置。共済農場の理念に共鳴し、心にかけてくださった先生への感謝が伝わってくる
大久保代表をモチーフにした“ジャムおばさん”は同社の看板的な存在に。同社スタッフがやなせたかし先生に直談判し、実現したそう
「ふらのジャム園」の多岐に渡る業務は、もちろんすべて共済農場のスタッフの仕事だ。
多くの仕事を手がけるようになった理由を、大久保嘉子さんは
「今は亡き夫である尚志が残した“共に助け合い、
共に産み出し、共に栄えていこう”という理念を守り、
利益を求める事のみに走らず、人との縁を大切にしてきた結果なの」と語る。
農場と展望台の間にある「富良野に寄せて」の碑。農場開設20周年に創業者の大久保尚志さんが詠んだ詩が刻まれている。ここ麓郷はTVドラマ「北の国から」のロケ地としても有名
共済農場は今から40年以上前、安心・安全な農作物をつくりたいと八王子から富良野へ入植した尚志さんら5人の若者からスタートした。
彼らはボランティアの手を借りながら荒れた土地を開墾。
嘉子さんもまた、志しのある農業に共感し、ボランティアの一員として参加。
そのまま尚志さんと結ばれた。
都会から訪れる若者に
「農業に憧れる人はたくさんいる。
だけど、草むしりをお願いして畑に連れていくと、広大な畑を見ただけでどっと疲れるの。
こんな畑の草むしりは一体いつ終わるんだって、
夢見ていた気持ちが一気に吹き飛んでしまうの」。
「私たち農家は、一歩一歩、自分の周りをキレイにして畑を進む。
日が暮れてきたら後ろを振り返って、“今日はここまで進んだ”って満足するのよ」。
どんな業務も過程を大切にし、コツコツと地道に進めてきた。
ジャム作りもその一つだ。
今も昔もジャムの作り方は同じ。扇風機を回して水分を飛ばしながら、一気にジャムを煮詰める。食べごろの作物を使うこともおいしさの秘密
廃棄される野菜や果物を使った加工品作りは、経営のサポートとして始めた事業。
形が悪い、ちょっと傷があるというだけで売り物にならない作物をジャムに変えてきた。
また、お母さんが子供に食べさせる気持ちで作りたいとの思いで、ジャムのレパートリーや生産量が増えても、作り方はジャム作りを始めた当時のまま、大きな鍋に入ったジャムを、木べらでせっせとかき混ぜて作るハンドメイドにこだわっている。
最初はニンジンやカボチャ、山ブドウのジャムから作り始めた。
素材のおいしさや風味を引き出す様に何度も試作。
考えて作るのが好きな嘉子さんは、苦労したという気持ちもなくバラエティ豊かな商品を生み出してきた。
40種以上のジャムが並ぶジャム工房。入植時に住んでいた家を再現した小さなツリーハウスが、開拓のシンボルとして天井近くに飾られている
ジャムは自由に試食ができるようになっている。さらに人気ランキングも張り出してあるので、初めてのお客さんでも楽しみながらお気に入りの味を選べる
新商品のアイデアが生まれたら、とにかく試作というスタイルは今も同じ。
最近ではジャムを使ったスイーツにも取り掛かり、キビ砂糖を使った無添加のクッキーが完成。
素材から“安心安全”にこだわる嘉子さんも納得の出来栄えだ。
「時代によって考え方も変わる。
日々、食の安心や健康に関する新しい発見があるでしょう?
私は死ぬまで勉強だと思っているの。
だからこそ、食に興味がある人やいろんな考えを持った若い人に働いてもらって、いろいろ教えてもらいたいのよ」。
共済農場の社員となった山本さんの使命は、元気な野菜作りを守ること。故・大久保尚志さんの有機農業に対する熱い想いを受け継いでいる
農場を任されている山本和弘さんもまた、若い人の力に富良野の農業への可能性を見出している一人。
「富良野は市外から入植してくる人が多く、地元の人も彼らを受け入れている。
それが富良野のいいところ。新しい文化になると思う」
という山本さんは、もともとは関東で業務用機械の仕事をしていた。
ある時、もっと世のために働きたいと農業の道を志し、勉強の地として選んだ富良野で、そのまま農家として独立した。
その頃から、すでに大久保一家と家族ぐるみの付き合いをしており、農業の有り方に熱い情熱を傾ける尚志さんにずいぶん感化されたという。
ふらのジャム園の畑は丘陵地にあり、時折強い風が吹く。富良野でも気温が低いエリアで、収穫の時期が短い。どの作物が環境に合うか見直し中だ
山本さんも自分らしい農業を追求すべく、加工品の製造にも力を入れた。だが、頑張り過ぎた結果、ヘルニアで腰を痛めてしまった。
「これ以上続ければ動けなくなってしまう。でも、農業は辞めたくなかった。
そこで代表に“富良野の農業発展の手伝いがしたい。
そのために若い人を育てたい”と相談したら、同じ想いだったんです」。
2016年、富良野の農業の未来を作るため、山本さんは共済農場の社員になった。
後継者不足の富良野で、まず取り組むべきことは技術の伝承だ。
例えば、展望台に広がる美しい花畑。
長年ある農家の夫婦が手入れしていたが、高齢になったため管理を受け継ぐことになった。
丘陵が多く、地形が多様な富良野では農地の管理も重要なこと。
盆地の畑もあれば、高地の斜面にも畑がある。どの野菜をどのように栽培していくか、見直しが必要。
やることは山積みだ。
農業をやってみたいと思う気持ちが一番大切。「僕自身も素人だった。経験がないとおじけづかなくても大丈夫」と笑顔で答えてくれた
「農業は自然に左右されるから厳しいことがたくさんあるけど、一番大変なのは人付き合い。
他の農家と意見をぶつけ合う時もあるし、農業の部会などで相手を立てなきゃいけない時もある。
相手を尊重しながら自分のスタイルを確立していくことが大切」。
「農業は辛くて苦しいこともある。でも、ふと顔を上げると、富良野の素晴らしい景色が広がっていて、また頑張ろうと思える」と山本さん
山本さんは共済農場の社員になってからも、自分のスタイルを守っている。
それは、育てる野菜の個性を知り、どう食べれば、どう調理すればおいしくなるのか、食べてもらう人に伝えられるよう、徹底的に調べることだ。
そのために、農作業がない冬場はレストランやカフェのリサーチも欠かさない。
「もともと食べることが好きで、カフェ巡りとか好きなんですよ。
料理を作る人たちが、どんな食材を求めているのか知れる機会だからね」。
日に焼けた肌から白い歯をのぞかせて笑った。
2階のギャラリーでは、油絵から絵本の挿絵、セル画まで数々のイラストを展示。渡部佑介さんは「絵の世界を再現した展示を企画したい」と、展望を語ってくれた
“新情報はいち早く収集”を心掛ける渡部さん。キャラクターや物語について質問すると、裏話も交えて詳しく教えてくれる
共済農場の社員で一番若い渡部佑介さんは、“アンパンマンショップで働く”という幼い頃からの夢を叶え、2016年に釧路から富良野へやってきた。
物心付く前からアンパンマンが大好きで、休みの日にはよくこのショップに連れてきてもらっていたそうだ。
「誰かのために身を犠牲にすることって難しいことだと思うんです。
大人になるにつれ、自己犠牲というテーマをアンパンマンに込めた、作者のやなせたかし先生も尊敬するようになりました」
と、渡部さん自身も献身的な姿勢で働きたいのだそう。
グッズが所狭しと並ぶショップ。渡部さんは自分が整頓した棚の商品や、カバーをかけた絵本を、お客さんが手に取ってくれた時がやりがいを感じるという
業務は接客のほか、仕入れや商品管理、企画催事、清掃などを行う。
夢をもらう立場から、夢を与える立場になり、楽しみに来てくれる子供たちのことを一番に考えて仕事をしている。
毎週土・日曜日に行われる着ぐるみイベントのサポートでは、周囲に気を配り、視界の狭い着ぐるみの目となる。
これも来場者に安全に楽しんでもらうためだ。
「僕が着ぐるみに入っている時、手紙を持ってきてくれた子がいたんです。
子供たちに夢を与えられているんだと、すごくうれしくなりました」。
お気に入りはバイキンマン。「自分にとても素直なところ」に魅力を感じ、やられてもへこたれない強さに感情移入してしまうそう
憧れの職場での仕事は嬉しさばかりではない。
社会に出て働くことが初めてとあって、先輩方の背中を見て、
「早く仕事を覚えたい。一人前になりたい。今後入社してくる後輩たちの見本となる立派な先輩になりたい」という焦りが付きまとう。
その背景には、新たな夢がある。
「2階ギャラリーをアンパンマンの世界にいるような展示にして、もっとショップを盛り上げたい」
と、目を輝かせた。
さまざまな業務がある同社では、話し合える環境作りを務めている。大久保代表いわく、「コミュニケーションは大事。もし話をするのが苦手でも、切り出してくれるのを気長に待つよ」