建築で富良野の未来を作る
1軒1軒建つごとに、富良野が素敵な町になっていく。
脱臭・防腐・空気清浄効果を期待できる「炭の家」は、木炭1トン分を敷設。富良野から旭川までのエリアで特許使用許可を取っている企業は、サンエービルド工業だけだ
「建設現場って面白いでしょ? 見ていて飽きないですよね」
新築の現場でそう語るのは、サンエービルド工業の常務・岡田進さん。
創業70余年の建設会社で30年以上働き、会社の変遷を見てきた一人だ。
建設現場で使用する工具は年々進化する。今では作業員1人でも天井板を張れるようになった
富良野エリアを中心に、住宅の建築・リフォームや、官公庁の建設・工事を担う同社は、かつて“家に必要なものを全部そろえられる会社に”という目標のもと、ホームセンターや家具店を経営していたこともある。
特にホームセンターは富良野初とあって、当時は町中から人が集まってくるほどの人気ぶりだったそうだ。
だが、15年前に大手企業が進出するという噂を聞き、即座に撤退を決定。
次なるブームが予想されていたリフォームに舵を切った。
接客で大切なのは、好印象を与えることと岡田さん。大工も技量があるだけでなく、愛想が良く、身だしなみが整っているとお客さんが安心してくれるという
現会長の先見性には目を見張るが、前述した職場すべてを経験した岡田さんもすごい。
担当業務が何度も変わって大変だったかと尋ねると、答えはノー。
「家具店やホームセンターの販売も、営業も基本は接客業。それぞれ商品知識は必要ですが、お客様やスタッフとコミュニケーションを取るという点は同じなんです」
建設担当になった今も、インテリアの商品選びから取り付けまで相談にのるなど、家具やホームセンターでの業務経験が生きている。
現場の進み具合を職人に確認する岡田さん。現場に足を運べば、職人がいろいろと教えてくれる。何でも興味を持って聞くのが仕事を早く覚えるポイントだ
もちろん30年以上働いていれば辛いこともあった。
それは営業職になってから業績が上がらなかった時。
営業にノルマは付き物。達成できない月があるのも当然と頭では分かっていたが、状況をどう脱するか悩んだ。
そんな時、販売時代にお世話になったお客さんから、リフォームの依頼や紹介があり、心から感謝した。
この苦い経験を、若手社員の姿に重ねることもある。
現場をまとめる大工は建設業界の花形。“これは俺が作った家だ”と誇りを持って言い切れる
「若手は自分の良いところが分からず、ダメな部分を認められないでいる。自分は能力がないと思い込まず、自分の持ち味を生かして仕事ができるよう、相談にのりたい」
と、一緒に苦労を乗り越える心構えを忘れない。
一方で、若い人材の新たな感性に期待している。
約25年前は子供が独立した50代の夫婦がメインの顧客だったが、今では20~30代からの住宅注文が多い。
トレンドに敏感な若い世代に向けて、いかにセンスの良い提案ができるかがポイントだ。
「お金を出すのは旦那さんですが、家の間取りや細かな内装を決めるのは奥さん。建設業界は、主婦目線で家作りをサポートできる女性も活躍できる場なんです」
片山さんのデスクの前には、「一級建築士合格」という目標が貼られている。資格が取れたあかつきには、社長が盛大な飲み会を開いてくれる予定
女性建築士として働く片山さんは、8年前まで札幌で働くOLだった。
実家の建て替えで現場を見学した際、両親の理想の家が形になっていくことに感動し、建築の道を目指すことに。
専門学校で設計を学び、就職活動で訪れた同社のアットホームな雰囲気を気に入り、ここで働くことを決めた。
片山さんは初めて住居を設計した際、上司を納得させて意見を通した。お客さんの暮らしを考えた結果の良い提案なら、新人もベテランも関係ない
「元々父親が転勤族なので活動拠点を変えることに抵抗がありません。しかも富良野は北海道の中心。札幌、旭川、帯広、どこへ行くにも所要時間がほぼ同じで、ドライブ好きの私にぴったりの町です」
お盆休みや年末年始の休暇を使い、オートバイで道内を一周するのが今の夢。
そのためにはまず、一級建築士の資格を取得して、一人前の設計士になることが先だ。
週2回、夜7時に市内で行われる講習に参加。
受講料や受験料は会社から補助が出るそうで、片山さんは就職してから二級建築士を取得した。
忙しくても通わないと試験に間に合わないと焦るが、女性の視点で家作りができる片山さんの存在は社内でも貴重だ。
片山さんが設計し、営業部で作ったモデルルーム。岡田さんいわく「センスの良いチラシやパンフレット、展示会場が営業のしやすさにつながる」
最初の打ち合わせから、営業に同行してお客さんの要望をヒアリング。
それをもとに家作りのプランを立て、作図に取り掛かる。
依頼があれば、インテリアを決めることもあるそうだ。
「初めて営業に付いてお客様のところに行った時、女性スタッフだと奥様が話しやすそうだと感じました。しかも、家事の流れが分かる立場同士、話が盛り上がって…。スムーズに打ち合わせできました」
そこで片山さんは、家事のしやすい動線を考え、作業時間を短縮することで、主婦の自由時間が確保できるように提案。
デッドスペースを活用した奥さん専用の趣味スペースも喜ばれている。
主婦にとって住まいは職場であり、家の滞在時間も長いからこそ、遊び心があって、毎日が楽しくなるようなデザインも重要だと片山さんは言う。
設計や営業がお客さんの家作りで、意見を交換するのは日常茶飯事。 時には社長も交えて打ち合わせ
満足のいく仕上がりであれば、キレイな状態をキープしようと掃除や片付けにも力が入る。
毎日の家事を助ける家作りをモットーとする片山さんに、一級建築士に受かった後の展望を聞いた。
「収納スペシャリストの資格を取って、新居の引き渡しを終えたオーナー様へのアフターフォローに行きたいです。展示会などでワークショップを開いて、商談のきっかけにするのもいいですね」
女性らしい柔軟な発想が、会社の財産になっている。
土地の条件や職人によって精度が変わる建設は、100%完璧に仕上げることは難しい。だからこそ誠実に仕事をするのが大切と社長
今、若い人のパワーが必要だと強く感じ、より働きやすい会社へとリフレッシュを計っているのが浅田康詞社長だ。
「社会人は上下関係があり、言えないことがあるのは当然。若手社員の仕事が上手くいっていない時や課内の空気が暗い時、社長は空気を察して飲みに誘う」と岡田さん。
片山さんは「お酒が入ると若手も思わず本音が出たりするけれど、会社を良くするための発言。それを分かって聞いてくれる」と、懐の広い社長に厚い信頼を寄せる。
創業から70余年。富良野に長年愛されてきた建設会社
浅田社長は父である現会長の背中を見て育ち、幼い頃から将来的に会社を継ぐという意識があった。
大学で建築を学び、卒業後は北見などの会社でサラリーマン時代を過ごすことに。
「父から“卒業したらこの会社に入れ”とは言われませんでした。他の企業で経験を積んだ方が良いと思ったのでしょうね。ひとりの新人として社会に揉まれて正解でした」
国道38号沿いに立つ本社。 堂々たる存在感に、入社当時の片山さんも驚いたという
1社目はサンエービルド工業と同じ、2×4工法の建設会社。そこでは現場の進め方を学んだ。
2社目はコピー機の営業という畑違いの職場で、お客様とのコミュニケーションの取り方を身に付け、富良野へ戻ってきた。
入社当初、フレンドリーな性格なのに周りからクールに見られていたという浅田社長。
「初対面は勝手な想像で他人を決め付けてしまうもの。取引先やベテラン社員に、良い印象を持ってもらおうと芝居を打ったこともあります。社長になった今は、堂々と見えるように努めています」と微笑んだ。
4人のお子さんのパパでもある浅田社長。なかなか学校行事に参加できないが、社長が会長の背中を見ていたように、今、子どもたちは社長の背中を見て育っている
「父親の仕事を継ぐと決めたからには、新風も必要」と若手社員の指導に熱を注ぐ。
仕事を、見て覚える時代は終わった。
今は「なぜこの作業をするのか」を理解できるよう丁寧に教えるという。
もう一つ心に決めたことは、誠意を持って仕事に携わり、誰に対しても嘘をつかず、約束を守ること。
「マイホーム作りは、一生に一度の大事業。大金をはたいて、うちの会社に任せてくれるお客様の気持ちが第一。予算が厳しく、要望を実現するのが難しい場合もある。社員にはどうしたらお客様の理想の形に近づけるかを悩み、追求してほしい」と語る。
年齢も職種もバラバラだが、お互いを尊重し、支え合う見事なチームワーク
今は大工を抱えている会社は少ないが、同社には大工部門がある。
建物の老朽化で不具合が生じた時に、施工担当者が直接対応できるなど、アフターフォローにもしっかり対応できるのが強み。
営業、設計、大工それぞれが持つ責任感が、施工主の安心感に繋がっている。
ベテラン棟梁と若き大工が丁寧な仕事にこだわり、安心して永く暮せる家づくりを目指す
富良野の町には、暮らす人の夢を形にした家がある。
今夜も家作りを支える人々の誇りが、温かな町明かりの中に輝いてみえる。