牛の削蹄で日本の酪農を足元から支える
社員の幸せのために職場環境も改善
今日の現場は、富良野市内の牧場。牛とのコミュニケーションも大切な仕事
牛は足が命だ。
蹄が病気になると立てなくなり、最悪の場合は死んでしまうこともある。
そのため定期的に蹄をカットし、ケアする必要がある。
これが有限会社ライズが行っている「削蹄(さくてい)」という仕事だ。
牛の健康が、美味しい牛乳へとつながっていく
体重が約600kgもある乳牛を誘導用の柵の中で整列させ、
牛を保定し削蹄をサポートするアメリカ製の大型機械へと導く。
削蹄機へと誘導する柵を、手際よく設置していく
胴体と足をスムーズに固定した後、前足と後ろ足の爪を2人で分担し、
グラインダーや鎌などを使って素早くカットする。
瞬時に状態を見極め、適切に処置をしていく。作業は時間とのたたかいでもある
一頭わずか3分で完了。
歩き辛そうにしていた牛が削蹄後にスタスタ歩く光景には、爪のケアでこんなにも歩行に違いが出るのかと驚かされる。
削蹄後、足取りも軽く、悠々と牛舎へ戻っていく
「削蹄の仕事は技術、実力が物言う世界。
資格も必要ないし、経験を積めば誰だってできる。
まだまだ認知度は低いけど、酪農が盛んな北海道ではなくてはならない仕事。
牛の爪は黙っていても伸びるからね。
ちょっと変わった仕事でも一生懸命やってくれる人が、一緒に働いてくれるといいな」。
そう話す代表取締役の沖田太一さんは、実は最初から削蹄師を志したわけではない。
24歳の時に実家の肉牛農家が離農し、借金の保証人である牧場に説得され、返済のために会社を起業したのだ。
北海道ではなくてはならない「削蹄」という知られざる仕事の奥深さを広く知ってもらいたいと、沖田さん
当時、富良野には削蹄専門の会社がなく、酪農が盛んな別海や中標津から業者を呼んでいた。
“ライズ” が町で唯一の業者となったのだが、創業から3年間は出資した3社の牧場しか仕事がなく、夏は搾乳やデントコーンの刈り取り、冬は牛舎の建設を手伝って稼いだ。
しかも、牛舎に繋がれている牛の足を手で持ち上げ、鎌で爪を削っていたので、2人で1日20頭をこなすことで精一杯だった。
削蹄機を積み、道内各地を巡る
ようやく仕事が軌道に乗り始めたのは、創業から4、5年目。
沖田さんに転機が訪れる。
知り合いからアメリカ製の機械を導入してはどうかと話を持ち掛けられた。
しかし沖田さんは、ようやく慣れてきた業務のサイクルを変えたくないと、導入に反対。
「好きで始めた仕事じゃなかったし、意欲がなかった」と当時の自分の気持ちを吐露した。
個体ごとの情報を記録しながら、削蹄作業が進んでいく
だが、周りに勧められて本場アメリカで現場を視察した際、
柵で牛を誘導し、大型の機械とグラインダーを使う削蹄方法に、沖田さんは衝撃を受けた。
アメリカで衝撃を受け、導入を決めたグラインダーは、今や削蹄に欠かすことができない相棒となっている
この頃、日本の酪農のスタイルは牛舎での飼育から放牧へ変わり、欧米化しつつあった。
牛や農家のために働くなら、削蹄も農業のスタイルに合わせたやり方じゃないとダメだと気付き、
ライズという会社を「日本の酪農を足元から支える大企業にする」
と決意した。
グラインダーと併用する鎌は研磨機で小まめに砥ぎ、使用する
機械の導入と沖田さんや従業員の頑張りで取引先が増え、今では道内55カ所で年間2万頭を任される会社へと成長。
沖田さんは借金を完済し、マイホームを建てることができた。
「削蹄は技術があれば、世界中どこでも活躍できる」と胸を張る沖田社長。ライズで10年働けば、月40~50万稼げるそうだ
次に取り組んだのは、社員にも自分と同じように幸せになってもらうための労働環境の整備。
職人の世界である削蹄を、一般企業化しようと思い付いた。
布礼別の本社を出発し、牛たちの待つ牧場へと向かう
ライズは4カ月に1回のペースで農場を回り、年間売上も安定している。
スケジュールも事前に把握できるので、ゴールデンウィークや年末年始、お盆休みは一般企業と同じく年次休暇になる。
牧場に到着すると、まず車両の消毒を行い、伝染病などの侵入を防ぐ
有給休暇を取りやすくするため、
人員が少ない時は、小規模の牧場を回るなどの工夫で調整している。
毎朝、本社内事務所にて朝礼を行い、業務内容を確認する。進行係は当番制で、短いスピーチをするのが恒例となっている
仕事は朝7~8時から始まり、夕方には切り上げる。
仕事が早く終わった時は、例え昼過ぎでも終了。
残業はなし。
福利厚生として、事務所にトレーニング器具をそろえているのもユニークだ。
かつて保育所だった建物内は、広々として開放的な空間となっている
社員が思いつきで開催するサークル活動もあり、発起人は勤続9年目の主任・及川正人さんがほとんど。
出張先に川があれば持参した釣具で仲間と釣りをする。
ムードメーカーとして「笑いのある会社にしたくて、仕事の休憩中もくだらないこと言って仲間を笑わせていますね」と、
新人とベテランもコミュニケーションが取りやすい空気を作っている。
1年中屋外での仕事なので、暑さ寒さは大変でも、みんな楽しそうに仕事をしている
ライズの場合、入社1年半までは牛の誘導や道具の準備を担当。
2年目になると勉強会へ行き、前足の削蹄に取り組む。
現場に到着し、まず慎重に削蹄機をトラックから降ろしていく
後ろ足は病気が多く削蹄のほかに応急処置もするので、入社から4~5年経験を積んだ人が担当する。
近年、牛乳をおいしくするために栄養価の高いえさを与えるようになり、栄養過多で後ろ足の病気が増えているそうだ。
病気の多い後ろ足を担当するには、4~5年の経験が必要
「社長の父がよく言っていた
“誘導は牛を第一に、全体を見ろ”
“削蹄は牛が正解を教えてくれる”
は、常に心掛けています。
ケアした後の牛を見て、歩き辛そうにしている時はダメです」
と、柔和な表情をキリリと引き締めた。
「牛の扱いが大変だった頃は、僕が恐がっているのを感じていたのかな」という及川さん。今では牛に愛着がわき、かわいいと思っている
一方で、削蹄後に元気に歩き出す牛に喜ぶ農家さんを見ると、
及川さんは「削蹄」という仕事の素晴らしさを感じ、モチベーションが上がる。
ライズでは蹄の前側に重心がかかるようカットする「機能的削蹄」を採用することで、病気を予防している
「牛によって爪の形が違うので、ケアの仕方もさまざま。
日々新しい情報が出ているので勉強会に出席したり、新しい知識や技術を取り入れたりしています。
削蹄は引退するまでずっと勉強ですよ」
病気の発生しやすい後ろ足はベテランスタッフの仕事。時には応急処置も行う
入社2年目の森崇敬さんは、関東から北海道へ家族で移住。
削蹄という職種さえ知らなかったが、知識を身に付け、手に職を持てる業務と知り、興味を持った。
森さんは「トラック運転手やパチンコ店スタッフ、葬儀専門のフラワーショップなど、さまざまな業務を経験した中でも、削蹄が一番やりがいを感じる」という
「富良野は田舎かと思っていたけど、そうでもない。北海道らしい風景があり、特に不便も感じていません」。
まだ子供が小学生の森さんにとって、有給が取りやすい環境はありがたい。
社員も陽気な人が多く、サークル活動なども自由参加なのが楽だと感じている。
牛一頭一頭の個体情報を入力し、状態を記録する。日本にメーカーがないので、機械のメンテナンスも自分たちの仕事だ
和気藹々とした社風だが、みんな業務には人一倍、責任感を持っている。
社長は誰にでもできる仕事といったが、それは決して楽ということではない。
森さんがそれを痛感したのは、事故の経験からだ。
誘導の際、牛舎で滑った牛の足が裂けてしまったことがある。
牛は足が立たなくなると、乳牛として働けなくなるのだ。
高額な牛は農家にとって財産だ。
社長は「牛は生き物。牧場の持ち物なので大切に」と諭し、従業員全員で原因を探り、滑らないように石灰を撒いたり、藁を敷くよう徹底することにした。
森さんはこれまで4、5社で“人対人”の仕事を経験してきたが、削蹄は“人対牛”の関係構築も重要なのだと胸に刻んだ。
削蹄機への通路には石灰を撒き、牛が足を滑ったりすることを防ぐために、気を配る
今年から前足の削蹄を始めた森さん。
「本格的な削蹄を行うようになってまだ日が浅いので、病気のことやグラインダーや鎌の扱い方、切る加減などを、先輩スタッフにつど確認するようにしています」
と、早く一人前になれるよう、牛を恐れることなく、様子を見ながら丁寧に仕事している。
軽々とした身のこなしで作業に取り組む宗林さん。準備が順調に進んでいく
ライズの仲間には、2年の期限付きで研修へ来ている18歳の宗林楽士さんもいる。
宗林さんの実家は三重県で肉牛農家を営み、父親の勧めで知人の沖田社長のもとへ。
「高校時代に実家を継ごうと決めて、昨年もライズの仕事を見させてもらいました。
三重には削蹄師が少なく、普段は父が鎌で行います。
こんな機械があるのは便利だし、足を痛そうにしていた牛が削蹄したら歩きやすそうになって、すごい仕事だなって思いました」。
2017年春、富良野に来たばかりの宗林さん。社長は「きちんとした真面目な若者」と期待を寄せる。
実際に仕事をしてみると、ホルスタインは和牛より大きく迫力があり、うまく扱えない。
踏まれたり、蹴られたり、挟まれたりと青あざを作る日々を送った。
そんなある日、先輩が声を出して誘導していることに気付き、自分も見よう見真似で声を出してみた。
すると牛が言うことを聞き始め、手ごたえを感じた。
「みんなは明るくて何でも聞きやすく、優しく教えてくれます。
でも、なるべく自分の目で見て学び、分からないことがあったら聞くようにしています」
と、自分で考えて行動することも大切だと気を付けている。
休みの日は釣りに出かけてリフレッシュ。「地元の三重でも釣りをしていましたが、富良野に来て先輩に川釣りを教えてもらいました。川の流れを読むのが楽しい」と富良野ライフも満喫している。
宗林さんの今の目標は、削蹄ができるようになること。
それより先の夢は目標をクリアしてからと言うが、話を聞いていくと本音が出た。
「ライズでは大きな牧場でも6人でスムーズにこなしているので、実家に戻った時もそういう体制にしたい。
一人前になったら、自分もライズのような削蹄会社を作りたいと思っています」。
謙虚な姿勢ではにかむ宗林さんの瞳に、日本の酪農の将来を支えたいという情熱の炎を見た。
6人の従業員で、年間2万頭の牛の削蹄を行う。2017年、宮崎県都城に九州支店を立ち上げ、今後の活躍がさらに期待される