何不自由なく富良野を満喫してほしい!
町の“今”に寄り添い、歩みを止めないタクシー会社に
会社のトップとして働き、保護司も務める広瀬社長。「いち富良野市民として、暮らしやすい社会のため何ができるか考えた結果」と語る
1952(昭和27)年創業の株式会社富良野タクシー(通称:ふらのタクシー)は、町の発展と共に成長を続ける会社だ。TVドラマ「北の国から」のブームで富良野が北海道の一大観光地となった際、町にツアーバスもレンタカー会社もない状況で、ふらのタクシーは観光客のためにロケ地や観光名所を巡るプランを作成。運賃を一律料金にする画期的な案を導入し、社内ではドラマのエピソードを学ぶ勉強会も行われた。
近年では、クレジットカードに対応したり、Wi-Fiが使えるVIPカーを導入したり、翻訳アプリ付きのスマートフォンをドライバーに持たせるなど、増加する海外観光客も快適に観光できるよう取り組んでいる。
高齢化が進む町市民の足として、介護有資格者の乗務員が送迎する介護・福祉タクシーも運行。車イスでの乗車が可能で、寝たきりの人でもストレッチャーを使って通院ができることから、1カ月に100~150件もの需要がある。
さらにタクシー会社でありながら、介護用品のレンタルや介護保険が適用される住宅改修も請け負っているというから驚きだ。
広瀬社長は「従業員の生活は保障できるように、会社を守らなければならない」と胸に刻み、社長業に努めている
高い行動力を支えるのは、“タクシー会社の機動力を生かして、富良野の困り事を解決したい”という代表取締役の広瀬寛人さんの熱意だ。自身は2017年まで富良野市議会議員を12年務めながら、社長業をこなしてきた。
「タクシーは市内をくまなく回りますから、たくさんのお客さんとの出会いを通して、町のいろいろな面が見えてきます。雪かきに困っているお年寄りがいるな。自宅に送迎した際、身体的に家での生活が不便そうだなとか。市民のリアルな状況が伝わってきます。時には警察からの連絡で、徘徊している人の捜索をお手伝いすることもあるんです。市民にも観光客にも何不自由なく富良野を満喫してもらうために、私たちができることは何でもしたいと思っています」。
優しげな瞳の奥には、もっと活気あふれる町を作りたいという情熱の火が灯っている。
富良野観光で定番のふらのワインの工場。渡辺さんは、初夏に早咲きのラベンダーが見られることなどを丁寧にガイドしてくれる
年々増えている海外観光客の接客で、広瀬社長が期待を寄せているのが、英語が堪能な入社1年目のドライバー渡辺さんだ。「ニュージーランドでのワーキングホリデーの経験を生かし、英語を使える職場を探していました。この会社なら役に立てるんじゃないかと思って」と渡辺さん。
海外からの利用者は突然「ここも行きたい!」と、時間的に無理な要望を口にすることがしょっちゅう。そんな時、渡辺さんはお客さんの持っているJRの切符と時刻表を確認し、最適な観光プランを組み立てる。「いきなりの予定変更は大変ですが、プラン通りに案内できた時は、無事やり遂げたという達成感がありますね」。
夏と冬の観光シーズンは旅行者の案内で多忙を極めても、通年利用するのは地元客だ。病院に行く人や疲れている人など、さまざまな人を乗せる仕事だからこそ、運転にも接客にも気を遣うと渡辺さんは話す。
観光シーズンが過ぎるとTVの英会話番組を見て、英語力を落とさないようにしている渡辺さん。今は中国語も勉強中だ
お客さんの様子を掴みきれず、無理に話かけて失敗したこともある。「接客はまだまだ苦手。だからこそ、“挨拶をしっかりする” “話を聞く側になる” “空気を読む” ことを心掛けて勤務しています」と、真剣な眼差しで語ってくれた。
渡辺さんは岐阜県出身。山スキーやサイクリングなどのスポーツ好きが高じて、十数年前に北海道へ。旅行で富良野を訪れた際、大自然に一目ぼれして移住した。ハードな仕事だが、時間を有効活用しながら趣味を満喫している。
「私は2日間で16時間働くシフトなので、朝から夜まで働いた後、数時間の空き休みを取り、その日の夜中から翌朝まで勤務します。空き休みにはジョギング、長い休みが取れれば、美瑛までサイクリングへ出かけることも。千望峠は道のアップダウンがあり走っていて楽しいし、そこからの見晴らしも良く気に入っています」。趣味が観光案内に役立つこともあるそうだ。
利用者が安心で快適な在宅生活を送ることができるよう、ニーズに応じた福祉用具を提案する
タクシー会社としてはかなり珍しい介護用品のレンタル・販売、住宅改修の業務を始めたきっかけは、社長の父親である先代が脳梗塞で右半身にマヒが残ったことだ。
仙台の損保会社の営業マンを辞め、会社の後を継いだ現社長は、当時、道内でも福祉用品を扱う店が少なくて困ったと言う。高齢化が進む町のことを考えても、自分で始めた方が早いと、すぐに札幌や旭川で行われている勉強会に行き、介護部を立ち上げた。今では、会社にケアマネージャーや介護福祉士などの有資格者がおり、ホームヘルパーの資格は社員のほとんどが持っている。
3年間在籍するという約束はあるが、資格を取るための費用は会社で負担してくれる。
明るい雰囲気の事務所。残業はほとんどない
「今もまだ、僕がタクシー乗務員だと思っている友人は多いですよ」とは、介護部に所属する入社9年目の松下豊和さん。
入社してから会社の制度を利用して、福祉用具の専門相談員の資格を取得した。
松下さんは仕事が終わると社会人の草野球チームの練習へ。休日は子供と遊ぶなど、プライベートな時間を確保できている
介護用品や福祉用具のレンタル・販売のほか、手すりなどの住宅改修の業務に携わり、利用者を訪ねる外回りが中心だ。
多い時には1日5~6件の個人宅を回る。
足腰の弱ったご主人のため、使いやすい位置に手すりを設置。今まで、体を張って介護していた奥さんも嬉しそうだ
元々は土木系の建設会社で大工として働いていた松下さんは、営業では初心者。先輩に同行し仕事を学んだ。
「自分は口下手で、お客さんとの会話に困ることがよくありました。でも、先輩から、“知識がなくても、数をこなせば身につく” “分からないことがあったらすぐ聞け” と言われたことは心強かったです」
と、社員の何気ない優しさに触れ、入社してすぐ職場の雰囲気が気に入った。
お客さんに合った介護用品を提案できるよう、商品の特徴などの確認は怠らない
今では、後輩を育てる立場になった松下さん。ケアマネージャーからの依頼で、車イスやベッドを必要としている人のところへ打ち合わせに行き、「ご本人やご家族から生活状況や体の状態を伺い、その人に合うものを提案しています。後輩たちには利用者さんの立場になって、どの商品がいいか考えるようにと伝えています」。今はベッドや車イスなどさまざまな用具の種類を覚えているが、新人の時には膨大な種類を把握するのにとても苦労したそう。
入社してすぐの仕事が、先輩からカタログを渡されて商品を覚えることだった。
「車イスのレンタル用品だけでも40~50種類。メーカーによって特徴がさまざまなので、それを頭に叩き込むのは一番大変でしたね。でも、アフターフォローで利用者さんを訪ねた時、“使いやすくて、生活が楽になった”“助かった”と言われると苦労が報われました」。
松下さんの次なる目標は、福祉用具の知識を増やしていくことと、福祉住環境コーディネーターの資格を取ることだ。「元大工ですが、以前はダムの建設などに携わっていたので、住宅改修の知識はほとんどありません。検定試験の勉強で家の規格に合った改修方法が学べるので、頑張って合格したいです」と、目を輝かせた。
トイレ用の手すりを取り付ける松下さんは、無駄のない動きで作業をこなす。土木系の大工だった経験が、手際の良さに表れている
同社では女性ドライバーの活躍も著しく、全国的に見ても女性乗務員の割合が高い。
「昔は否定的なお客さんもいましたが、今は女性ならではの気遣いが喜ばれています。特に、観光客やお年寄りからの指名が多く、評判です」と社長。
安全のため、全車ドライブレコーダーを搭載し、家庭のことも考えて女性のシフトは朝から夕方までと決められている。
足腰が不自由なお年寄りから、買い物や薬の配達などを代行する「便利屋タクシー」の依頼もある
この会社で働く人を見ていると、全員が富良野の町のためになることは何かと考えていると感じる。
タクシー会社が町に貢献できることは無数にあると、社員一人ひとりから伝わってきた。
「私自身、仙台から富良野に戻ってきて、やっぱりこの町が好きなんだと実感しました。だからこそ、子供やお年寄りが安心して暮らせる社会をタクシー会社としてサポートしていきたい」。
広瀬社長の“活気あふれる元気な富良野の町づくり”の志は高い。
「仕事と趣味のバランスが大切」と言う広瀬社長。介護部の松下さんも充実した毎日を送っている