サッシ・ガラスを通して社会に貢献
未経験者もゼロから学べ残業ほぼゼロ
住宅サッシ、ビル用のサッシとガラス、自動車ガラスの三つの分野で、ガラスを必要とする場所をカバーしている
「橋場ガラス」は1967年に創業したサッシとガラスの設計施工会社。
住宅はもちろん、「フラノマルシェ」などの店舗、公共施設、ホテル、銀行といったさまざまな建物の新築・改築現場に関わってきた。
さらに富良野市内や近郊にとどまらず、札幌市や旭川市、稚内市をはじめ道内各地に進出。
2000年には、年間売上高が5億円を突破した。
代表取締役の橋場和之さん。バブル崩壊を乗り越え、会社と社員の暮らしを守ってきた
ガラス工事は、建築関係の中でも珍しい分野だ。
現場で活躍する工事課も、ガラスに関してはまったく経験がない人が入社してくるのが当たり前。
だからこそ、新人がゼロからしっかり学べる体制が整っている。
オフィスは2017年にリフォームしたばかり。黄緑と青紫、白を基調としたモダンな内装で明るい
山形県出身の工事課主任、上妻秀世さん(36歳)は元自衛官。
陸上自衛隊で戦車に乗っていたという、異色の経歴の持ち主だ。
上富良野の駐屯地に配属され、地元の女性との結婚の後、一旦山形に戻った。
その時出会ったのがガラス屋であり、その後奥様の地元である富良野に定住しようと決めた。
そして、縁あって橋場ガラスの一員になり11年が経つ。
上妻秀世さんの前職は、陸上自衛隊の戦車乗り。まったく畑違いの建築分野に転職し、ゼロから仕事を覚えた
入社した時は「ガラスって何?」「ガラス屋って何するの?」という状態だった上妻さん。
最初は工場でガラスを切る練習をし、硬さや重さ、感触を体感するところから仕事を覚え始めた。
先輩たちが丁寧に指導してくれた新人時代。
安全第一で一歩一歩仕事を覚えていったが、最初の2、3年は現場で歯がゆい思いをする機会も多かった。
「大きなガラスを何人かで手作業で運ぶ時は、誰か一人でも息が合わないと動けないんです。新人のうちは、先輩たちに『そこで見てろ』って言われてメンバーから外され続けて、悔しかったですね」。
重いガラスを手で運搬する。経験を積んだ職人にしかできない作業だ
早く先輩たちと同じ仕事ができるようになりたい。
経験不足をカバーするには、どうしたらいいだろう。
頭を悩ませていた時、高校時代にラグビー部で鍛えたチームワークの感覚がよみがえった。
上妻さんは高校生ラグビーの聖地・花園で試合に出場した経験もある。
プレーの流れを読み、仲間の呼吸を察してパスを回す勘は、現場の仕事に応用できた。
「せーのっ!」。全員が呼吸を合わせ、ガラスをトラックから降ろす
「教わったことを覚えるだけじゃなく、周りをよく見て、次の動きを予測して、指示を出される前に動けるように頑張りました」。
先輩は次にどの道具を使うだろう。道具はどのタイミングで渡せばいいだろうか。
ガラスを置く台は、いつどこに出すのがベストなのか。
自分で考えて動くうちに、搬入作業に勝手に加わっても、黙って受け入れられるようになった。
誰でも未経験の分野に転職すれば、ゼロからのスタートになる。
そんな時こそ、自分の隠れた力を発揮できるチャンスなのかもしれない。
工事課課長の菊地学さん。ものを作る仕事に憧れ、リゾートホテルの裏方から転職した
工事課課長の菊地学さん(41歳)も、入社するまで建築現場の経験はゼロだった。
富良野生まれの富良野育ち。24歳の時に転職するまでは、市内のリゾートホテルで施設管理を担当していた。
ものづくりができる仕事に憧れて工事の世界に飛び込み、最初は上妻さんと同じく、ガラスに慣れるところからスタート。
「最初は落として割るのが怖くて、小さなガラスを持って歩くだけで緊張しましたね」と苦笑する。
講堂の吹き抜けに高さ3mのガラスを入れる。チームワークを発揮する瞬間
先輩たちに一つ一つ教わりながら経験を積み、個人の住宅から大規模な公共施設まで、さまざまな現場を経験してきた。
30階以上のタワーホテルの高層階で、屋上から吊ったゴンドラに乗り、窓ガラスの交換をしたこともある。
また、ある施設では創立100年記念ホールの吹き抜けに、高さ3m、重さ180kgもある巨大なガラスを何枚も搬入した。
大規模な工事で最もやりがいを感じるのは、チームワークを発揮して難しい作業をやり遂げた時だ。
「小さいガラスは一人で運べるけれど、大きいガラスは仲間と息を合わせないと運べません。みんなで協力して、重いガラスを入れた時の達成感は最高です」と、菊地さんは晴れやかに笑う。
さまざまな職種の人と協力してものを作る面白さも、工事課の業務の魅力だ。
ガラスとサッシは、北国では暖かな住まいを守るための必須アイテム
個人の住宅の修理やリフォームも楽しい。
お客様から「ありがとう」の声を直接聞けるからだ。
窓やサッシを断熱性が高いものに入れ替えたり、玄関フードを付けたり。
採寸から加工、施工まで、手間を掛けた分、寒かった家が暖かくなり、みんなが喜んでくれる。
夏は暑く、冬は寒い富良野で、誰もが快適に生活できる環境を守っていると実感できる。
新人を教育する立場になった今。若手に真っ先に教えたいのは「とにかくケガだけはしないこと」。
仕事を続けていれば、楽しさは後からついてくる。
まずは安心して業務に打ち込めるよう、安全に配慮する感覚をしっかり身に付けてほしいと願っている。
取締役営業部長の橋場怜央さん。現社長の長男であり、いずれは次男の悠乃さんと一緒に会社を支えていく
菊地さんが「これから会社を背負っていくこの人の夢を、おみこしのように担いでいきたい」と信頼を寄せるのは、取締役営業部長の橋場怜央さん(39歳)。
2代目の現社長、代表取締役・橋場和之さんの長男だ。
道外の住宅メーカーで〝営業もできる設計士〟として修業を積み、6年前に家業を継ぐために富良野へ帰ってきた。
今は営業マンとして発注を受け、社外のさまざまな企業や組織と調整を進め、職人の一人として作業服で現場にも出る。
営業と施工の二刀流で働く怜央さんも、入社直後はガラスについてゼロから学んだ。
最初に教わったのは「万が一ガラスが倒れてきたら、どちらへどう逃げればいいか」だったといい、それまで慣れ親しんでいた住宅建築とは違うガラス施工になじむまで、ベテラン職人に厳しく指導された。
スムーズな施工のためには、社外の人とのコミュニケーションも大切
「割れた窓ガラスの交換も、破片をサッシから外す順番に注意しないと、ガラスが一度に落ちてきて危ないんです。会社員時代とは違う職人の目線で物事を見られるようになるまで、ずいぶん叱られました」。
従業員は橋場さんにとって職場の仲間であり、自分を育ててくれた先輩たちでもある。
社員が働きやすい環境づくりは、大切な課題だ。
建設業界は時間外労働が多そうなイメージがあるが、橋場ガラスは創業以来「定時で退勤」が常識だ。
働く時はしっかり働き、休む時はきちんと休む。有給休暇の取得にも積極的だ。
経営者や管理職が、会社ぐるみで働きやすさに配慮する「イクボス宣言」にも調印している。
「寒暖差の激しい富良野でサッシを入れるノウハウを長年培ってきました。技術の高さには自信があります」と胸を張る橋場怜央さん
「仕事を一生懸命やり、家庭のこともきちんとして、自分の時間も大切にする。それが基本です。ずっと忙しいと次の日のためのエネルギーは生まれてきませんし、家庭に心配ごとがあると仕事に集中できません」。
橋場さんの目標は「暮らしやすい富良野の働きやすい会社」であること。
少子高齢化が進み、労働力が足りなくなっていく日本では、社員みんなが生き生きと働き続けられる企業しか生き残れないからだ。
図面をチェックしながら、ガラスとサッシの種類やサイズ、点数を確認。現場でスムーズに作業を進めるためには、段取りも大切
お客様のご要望を叶えることで社会に貢献でき、お客様の笑顔のおかげでやる気が出る。
商売を〝させていただいている〟ことに感謝し、恩返しのために富良野青年会議所の理事長に就任。
地域のイベントなどに関わるほか、地球環境に優しい企業を目指し、天然資源の節約も進めてきた。
住宅の窓や自動車のウインドーから、ガラス張りの高層ビルまで、ガラスがない場所はない。
現場で汗を流す工事課も、社外との調整に駆け回る営業も、顧客のデータベースを管理する事務方も、力を合わせて働いている。
暮らしの中のあらゆる場所にあり、みんなに必要とされるものに関わっているという誇りが、この会社のガラスを輝かせている。