NPO法人 ふらの演劇工房

【所在地】富良野市中御料 富良野演劇工場【TEL】0167-22-3800【事業内容】富良野演劇工場の管理・運営

最終更新日:2021年3月25日

富良野の演劇文化を育てる夢の城

舞台で生まれる人と人の絆を大切に

大道具や衣装を制作する部屋も備えた小劇場「富良野演劇工場」。2008年に第11回公共建築賞優秀賞を受賞。演劇という非日常の世界に浸る時間を、自然豊かな環境で過ごせる

テレビドラマ「北の国から」の脚本家・倉本聰さんが、富良野市に俳優・脚本家を育てる私塾「富良野塾」を開設したのは1984年。2010年の閉塾までに375人の塾生が巣立っただけでなく、富良野が「演劇のまち」へ変わっていくきっかけになった。

1999年には、演劇の力でまちを元気にしたいと願う市民のボランティア団体「ふらの演劇工房」が、日本のNPO法人第1号に認証された。翌年は市内に、創作活動の拠点となる「富良野演劇工場」が誕生。富良野市が建物を造り、NPOが運営と管理を担う、これまた日本初の公設民営の劇場だ。

演劇工場の工場長と「ふらの演劇工房」の事務局長を務める太田竜介さん(52歳)は、岡山県生まれ。富良野塾脚本家コースの10期生だ。卒塾後は東京の劇団の演出と音響を務めながら、年の半分は富良野塾の公演に協力。音響チーフとして、全国ツアーや海外公演にも同行した。

富良野塾で学んだ演劇文化で、まちづくりに貢献する太田さん。2018年、北海道文化財団のアート選奨K基金に選出

そして演劇工場がオープンする際、倉本さんに「劇場を作るから」と呼び戻され、富良野へ移住を決意。演出や舞台監督から音響、照明、チケット作りまで、何でも頼れる「まちの演劇人」として、NPOのボランティアたちと力を合わせ、手探りで地域に演劇文化を広め続けてきた。

演劇工場はいわゆる〝行政主導のハコモノ〟ではなく、演劇文化の生産工場だ。演劇に興味を持ってくれた人に、舞台に立ってもらうまでが課題。演劇文化の裾野を広げる努力は、2003年に富良野市開庁100年を記念し「ふらの演劇祭」が始まったことから、大きく花開き始める。

演劇祭では、市内近郊の小中学生が演劇のプロに演技指導を受け、演劇工場の舞台に立つ。音響も照明もプロが手掛けるステージで、子供たちが生き生きと輝く姿を目の当たりにして、教育関係者が「演劇のチカラ」に気付き始めた。「演劇で表現力やコミュニケーションを学ぶのは、子供の情操教育にいい。学校教育の一環に取り入れよう」と、富良野市内の小中学校や高校で演劇体験が盛んになり、富良野高校では演劇的手法に基づく「表現」の授業も始まった。

市内近郊の児童や生徒が出演する「ふらの演劇祭」。本番前の仕上げに熱が入る

道内外の演劇のワークショップや講演会、企業研修などに、年間80回ほど招かれるようになった太田さん。「人生全部なりゆきですね。頼まれたらやるというスタンス」と笑う。富良野で頑張ってきてよかったと思うことは、山ほどある。市民劇団「へそ家族」で演劇の楽しさに目覚めた子が高校生になり、富良野高校の演劇同好会は2019年、高校生の演劇コンクール全道大会で最優秀賞に輝いた。「ふらの演劇祭」に出演する子供たちの学校では、先生が自ら教え子のために、愛情あふれるオリジナル脚本を書くようになった。

「舞台芸術は、大人が子供に正解を教えられるものじゃないんです。劇場では誰もが年齢に関係なく対等な関係で、一緒にものを作る仲間として感動を共有できます。富良野市民の皆さん全員に舞台に立ってほしいし、これから富良野に移住してくる人がいたら、ぜひ一緒に芝居をやりたいですね」と太田さんは夢を語る。

劇場はすでに世代を越えた交流の拠点となり、舞台に立つ仲間たちは年齢を問わず、大家族のような深い絆で結ばれている。

大人も子供も気軽に芝居に親しめる場を支える「まちの演劇人」

事務局次長の樋口一樹さん(39歳)は、守備範囲が広い万能選手だ。市民劇団の脚本と演出、高校生の演劇部やワークショップの指導、舞台制作の裏方から、チラシのデザインやチケットの管理まで、幅広く手掛ける。

富良野で舞台に関わる人たちの熱に触れ、初めて演劇に興味を持った樋口さん

十代まで演劇のことは何も知らなかった。19歳の時、家族の転勤で倶知安町から富良野に引っ越してきた時、たまたま演劇工場がオープン。半年の臨時雇用で、会報誌の制作などを手伝うことに。契約が切れた後も3年ほどアルバイトを続け、一度は中富良野町のこども園に事務職員として就職したが、7年後、30歳の時に演劇工場に戻ってきた。

「僕は富良野に来た時、何もしていなかったし、それまで誰とも関わろうとしていませんでした。空っぽの自分を満たしてくれる何かを、無意識のうちに探していたのかもしれません。ここの太田工場長や、舞台に携わるボランティアの人たちのエネルギッシュな姿が、とても魅力的に見えたんです」。

出演者一人一人に、きめ細かく演技のアドバイスをする樋口さん

舞台に魅せられた人々の熱が、樋口さんの心に伝わった。人の心に響き、大勢の人を突き動かす「演劇のチカラ」を、自分も人に広めたい。それが樋口さんの願いになった。

高校生の演劇ワークショップや部活動の演技指導は、生徒たちが成長していく姿に刺激を受けられる。市民劇団「へそ家族」の脚本や演出の仕事は、小学生から70代までバラバラの年齢の団員たちに、自分が勉強させてもらっていると感じる。自分で脚本を書き、仲間と舞台に立つ機会も増えた。

本番前、舞台から観客席を見上げる樋口さんと生徒たち。演技中に目線を向ける位置を確認

「演劇工場で一番成長させてもらったのは、間違いなく僕です。僕が第1号になって、そういう人がこれからも出てきてくれたら」。

控えめにそう語る樋口さんの夢は、富良野で演劇を経験したり、舞台を観たりして育ってきた子たちに、演劇文化の担い手として活動を引き継いでもらうこと。今は「へそ家族」と、地域の枠を越えた高校生の演劇プロジェクト「FURANO Drama Players Under-18」の脚本を同時に執筆。それぞれの演者たちの個性を引き立てる作品を仕上げようと、四苦八苦している。

 

施設管理部長の長谷川浩一郎さん(52歳)は、勤続17年のベテランだ。音響のプロとして舞台を支えながら、建物の施設管理も担当。音響設備の点検だけでなくボイラーも見回り、屋上にたまった落ち葉の掃除や、駐車場の誘導もお手のものだ。

長谷川さんは東京からの移住組。自然が豊かで近所付き合いも良好な富良野は、子育てがしやすい土地だと感じている

常勤スタッフが6人しかいない施設だから、一人何役も引き受けるのが当然というだけではない。長谷川さんは、演劇工場を訪れる観客と出演者の両方に対して、「おもてなしの心」を大切にしている。それは誰もが知る夢の国、東京ディズニーランドで身に付けた精神だ。

長谷川さんは東京の専門学校で音響技術を学び、卒業後はディズニーランドでショーの音響を7年間担当した。

「裏方として総合芸術を支え、パフォーマンスに華を添えるのが音響の仕事」と語る長谷川さん

「ディズニーは一歩足を踏み入れたら、一日中ハッピーな夢の国。高揚した気分で駐車場に入ってくる時から、気持ち良く帰ってもらうまで、心地良く過ごしてもらうのが我々の仕事でした」と長谷川さんは笑顔で言い切る。

誰もが「楽しかった」「また来たい」と思い、幸せな気持ちで家路につくまでがショーの続き。敷地内はすべてステージの延長だから、何もかも完璧に整えたい。それが長谷川さんの信条であり美意識だ。

演劇用ホールは残響を抑えた設計。歌手や落語家の舞台は、声質も意識して音響の設定を変える

富良野に移住したのは、旅行で何度も北海道を訪れ、風景の美しさに感動したのがきっかけ。ディズニーランド以外の世界も経験しようと、東京都内のライブハウスに転職し、さまざまなアーティストのステージに関わりながら、いつかは北海道に移住したいと考えていた。

「ホールはどこの市町村にもあるから、常駐の技術者が必要なはず」。音響スタッフの募集を探しながら、20km近く離れた勤め先に自転車で通い、体力作りに励んで北国の生活に備えた。演劇工場の音響技術者募集を知ると、迷わず富良野行きを決めた。

今は演劇工場や市内の文化会館だけでなく、富良野の夏の風物詩「北海へそ祭り」のパレードでも音響を担当。経験と技術を発揮し、音速のズレを計算に入れて曲を流し、踊り手が心地良く練り歩ける環境を生み出している。

コロナ禍をきっかけに東京から移住してきた照明家の宮坂さん。出身は長野県だ

2020年に演劇工場初の常勤照明技術者として、富良野にやってきた宮坂佐知さん(47歳)は長野県出身。東京の専門学校を卒業し、フリーの照明家として舞台関係者とチームを組み、東京で25年活躍してきた。

宮坂さんは25年間、フリーで活動してきた。特定の施設に所属するのは初めて

バレエやオペラを中心に、数多くのステージを光で彩ってきた宮坂さん。「東京は年を取ってからも住み続けられる場所じゃない。いつか地方に移住するなら、北海道がいい」。以前からそう思いながらも、途切れることなく仕事が入り、東京で暮らし続けていた。

思いがけず転機を迎えたのは、新型コロナウイルスの影響だ。イベントの延期や中止が続き、仕事の予定がどんどんキャンセルされていった。

演者と呼吸を合わせ、芝居を輝かせるスポットライト。プロの照明で子供たちも演技に気合いが入る

これはチャンスなんじゃないか。東京を離れるなら、仕事が途切れそうな今だ。次の仕事は、移住してから探したっていい。何のあてもなくネットで北海道の求人情報を調べていた時、この「フラノジョブスタイル」で、演劇工場の照明スタッフ募集を見つけた。開館以来、初めて照明技術者を募集した演劇工場と、北海道への移住を決めた宮坂さんの出会いは、奇跡的な巡り合わせだった。

初めて演劇工場を訪れたのは、面接の時。「山の上に、こんなに立派な劇場があるなんて驚きました。お客さんを呼ぶ場所は、市街地に作りがちですから」と冷静に語る宮坂さんだが、太田さんたちが「すごいバイタリティーだ」と驚いたエピソードがある。仕事が決まらなくても移住しようと、面接の前に部屋を借りる手配をしていたのだ。しかし、入居予定の住まいは富良野市から約20km離れた上富良野町だったため、採用後、演劇工場の先輩たちに「冬に車で通勤するには遠いから」と説得され、富良野市内で部屋を探し直したという。

舞台を陰から支えるスタッフ同士、チームワークが大切だ

東京に残してきた仕事をすべてやり遂げるため、何度も富良野と東京を往復し、山に雪が降り始めた頃、ようやく落ち着いた。生き方を考え直した機会に、たまたま見つかった富良野との縁。舞台芸術の世界は、まだコロナ禍から生き返る道を模索している段階かもしれない。それでも宮坂さんの眼差しは、しっかり未来を見据えている。

企業概要

企業名 NPO法人 ふらの演劇工房
設立年月日 1999年2月23日
業種・職種
業務内容 富良野演劇工場の管理・運営
勤務時間(一例)
給与(一例)
諸手当
企業PR

日本で初めて、NPO法人に認証された会社です。「演劇によるまちづくり」を推進する拠点、「富良野演劇工場」で、演劇文化の創造と発信に関するあらゆる事業を行っています。演劇のもつ「創る」「癒す」「育む」という可能性に着目し、その活動から生まれる感動が共有できる場で、スタッフとしてあなたもその一翼を担ってみませんか?

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