ふらのバス株式会社

【所在地】富良野市住吉町1番1号【TEL】0167-23-3131【事業内容】旅客運送事業・旅行事業及びバス案内

最終更新日:2025年10月22日

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笑顔と安心を運ぶ誇りを胸に

地域の足と観光を支えるバスで未来を切り開く

富良野市内近郊のホテルと、旭川空港や旭川駅を結ぶ定期路線バスのラベンダー号。中富良野町、上富良野町、美瑛町の観光スポットも経由する

富良野で地元の人たちや旅行客を乗せ、市内5本の路線を走るふらのバス。富良野市内近郊のホテルや観光地、旭川空港などを結ぶ「ラベンダー号」も同社のバスだ。さらには富良野本社と千歳営業所を拠点に、北海道各地を巡る貸切バスも運行する。

地域の足と観光を支えるバス会社の運転士は、2025年現在38人。勤続年数は平均16年、最長42年のベテランぞろいだ。札幌や大阪、広島から移住してきた人もいれば、会社員や自営業、自衛隊から転職した人もいる。遠方からの移住や、バスの運転に必要な大型二種種免許取得を支援する制度も整い、運転士になる夢をかなえたい人を歓迎している。

運転士の杉川和那さんは元トラックドライバー。ものを言わない荷物を運ぶより人と触れ合えるバスの仕事がしたいと、25歳の時に転職した

2025年4月に入社した新人運転士の杉川和那さんは、室蘭市出身。地元のバス会社で運転士を務める父を身近に見て育ち、運転や接客の仕事に興味を持った。やがて成長し、故郷を離れ一人暮らしをしようと札幌へ引っ越して、選んだ仕事は運送業。大好きな車の運転を仕事にしたかったからだ。

トラックのハンドルを握る仕事は楽しかったが、何かが物足りなかった。1カ所に車を停めて、自分の足で配達に回る時間が長い。置き配が増え、配達先で人と顔を合わせる機会もない。もっと運転したい。荷物を届けて終わりではなく、お客さんとふれあえる仕事がしたい。そんな気持ちになった時、ふらのバスの求人を知った。

バスは日々力を合わせて働く大切な相棒だ。どこにも不具合はないか、オイルの補充は必要か。毎日の地道な点検が安心と安全を守る

やっぱりトラックより、バスを運転したい。ふらのバスへ入社して富良野市へ移住し、同時に大型二種免許を取るため、旭川市内の自動車教習所に通い始めた。1カ月弱で免許を取ると、次は先輩運転士と一緒に営業中の路線バスに乗る「横乗り研修」へステップアップ。最初は先輩の業務を見て覚え、慣れたら先輩に見てもらいながら自分で運転する。路線を覚え、車体の点検の仕方を教わり、座学で業務に必要な知識を学び、もう補助なしで大丈夫だと認められて、ようやく一人で運転ができる。

お客様を安全に目的地に送り届けるため、毎日の始業点検にも力が入る。タイヤのねじ1本のわずかなゆるみも絶対に見逃さない。

「前は段ボール箱を運んでいた自分が今、人のいのちを預かっているんだ」と、初めての単独業務ではプレッシャーを感じたという杉川さん。デビューから数カ月経ち、大先輩の先輩がエンジン音を聞いて「運転が安定していて、ベテランみたいにいい音を出している」と言ってくれるようになっても、適度な緊張感を忘れない。

「バスのお客さんは一人一人に感情があり、体調も違います。もしかしたら、乗り物酔いしやすい人が乗っているかもしれません。時刻表通りに走ることも大事ですが、どんなに時間の余裕がない時でも、ブレーキの強さやアクセルの踏み方一つ一つに気を配り、丁寧に運転することを心がけています」。

バスのハンドルを握る前は、運転免許証の所持も必ずチェック。「一日よろしくお願いします」と笑顔で送り出される

観光地ならではの苦労もある。日本語が通じない外国人旅行客への対応には気を使い、レンタカーや観光バスで道路が渋滞する日もある。そんな時も観光客の一人一人に「富良野へまた来たい」と思ってもらえるように、運転と接客のプロとして精一杯頑張る。

バスの運転は人の生命を預かる仕事。プレッシャーはあるが、小さな子がバスに手を振ってくれると癒やされると笑う杉川さん

運転していて一番モチベーションが上がる瞬間は、地元の子どもたちがバスに手を振ってくれた時だ。笑顔に癒やされ、この子たちが住む富良野の役に立ちたいと心から思える。誰でも運転できるわけではない大型バスを操る達成感や、自分の運転技術のレベルアップを感じた時の満足感も、最高のごほうびだ。

ふらのバスでは路線バスで経験を積んだ運転士が、貸切バスで北海道全域へお客さんを運ぶ。2年後、3年後の杉川さんはどこを走っているだろうか。

運転士と運行管理者を兼務する藤村浩則さんは、勤続35年のベテラン社員。バスの運行は運転士も事務職もみんながつながり、みんなで作る仕事だと言う

運転士と運行管理者を兼務する藤村浩則さんは、25歳の時に入社し勤続35年。ふらのバスへ転職する前は、大型車の整備やトラックの運転の仕事をしていた。昔のバス会社は入社後に一から学べる研修制度がなく、大型車の運転経験者が採用されていたため、バスの運転士を目指してトラックで運転の技術を磨いたのだという。

入社して路線バスの業務に慣れ、観光ツアーの貸切バスも担当していた2011年、当時の社長に「社内の運行管理者がもっと必要なので、手伝ってほしい」と声をかけられた。運行管理者は事業用自動車の安全運行を管理し、乗務割の作成や運転士の指導監督などを務めるスペシャリストだ。国土交通省の資格試験は1回で合格し、運転もしながら同僚たちの勤務割を組む立場になった。

藤村さんは運行管理者として、乗務割の作成や乗務記録の管理、運転士の指導監督なども担当。運転士の出発前は対面で点呼を行い、酒気帯びの有無や健康状態を確認する

「勤務割は運転士のスケジュールを分単位で組み合わせていかないと、仕事が回らないんですよ。路線バスに貸切バス、市役所の公用車の運転もあるし、無駄な回送はしてはいけない。これとこれの間にここを走ってもらって、この人はこのバスに乗ってもらってと、パズルみたいな業務です」。

複雑な作業に頭を悩ませながら、藤村さんが常に心がけるのは「仲間に気持ちよく走ってもらうこと」。運転士は一歩外に出たら、一人になる仕事だ。だからこそ朝は「一日よろしくお願いします」と送り出し、夜は「お疲れ様です。ありがとうございます」と出迎えるまでの間、できるだけスムーズに運転できる状況にしたい。貸切バスはなるべく各自が乗り慣れた車両を担当できるように調整し、冬は凍った道を走り、疲れて帰ってくる人が少しでも楽になるようにと気を配る。

「運転士はみんな運転が好きなんです。朝、急に体調が悪くなった人がいて、公休日の人を呼び出しても快く応じてくれます。安全のために注意しなければならないことがあっても、一言で分かってもらえます。バスの運行は事務所も運転士もみんなで作る仕事。お互いにバックアップして、みんながつながっているんです」。

藤村さん自身がハンドルを握る時は、乗客を安全に目的地へ送り届けることと、運転士はサービス業であり、人に見られていることを意識する。毎日が楽しいことばかりではない。中には下車のブザーを押さずに「なぜ停まらないの」と怒り出す乗客もいる。それでも「申し訳ありません。ご乗車ありがとうございました」と笑顔で対応するのが、プロの運転士だと考えている。

「運転士は舞台俳優と同じ、表舞台に立つ職業です。路線バスに毎日乗る人も、観光バスで一生に一度しか乗らない人も、お客様みんなに笑ってバスを降りてもらうまでが仕事なんです」。

そう言い切る藤村さんの横顔は、プロとしての誇りで輝いていた。

富良野地方の夏を彩るラベンダー畑。一面紫色に染まった北の大地が数多くの観光客を魅惑し、花盛りの季節のバスは大忙しだ

さまざまな乗客に愛されるふらのバスだが、実は富良野市内の路線バスは全線赤字だ。国土交通省から地域公共交通への補助金だけに頼らず、貸切バスで利益を出して経営を黒字にできるのは、北海道を代表する観光地・富良野ならではの強み。代表取締役社長の尾崎庄一さんは富良野観光協会の副会長を兼務し、自社の乗客を増やすためにも、富良野観光の魅力のアピールに尽力する。

地域の足を守り、観光業を支える公共交通として、10年後、20年後もお客様のために走り続けること。それがバス会社の使命だと語る代表取締役社長・尾崎庄一さん

「北海道のバス業界は東京のような大都市と違い、過疎や少子高齢化の影響を受ければ赤字になります。でも公共交通が廃止されていった時、最後に残る輸送手段は路線バスですから、会社の使命として絶対に維持していかなければなりません。富良野は観光と農業のまちですから、貸切バスにはまだ伸びる余裕があります」。

尾崎社長が会社の新しいトップとして、ふらのバスに転職したのは2018年。それ以前は親会社である旭川市のバス会社・旭川電気軌道で、運行を支援する事務職の経験を積み、常務取締役まで昇進を重ねた。退職後は鉄工会社に再就職し総務部長を務めたが、ふらのバスの社長にとの打診を受けバス業界へ復帰。しかし新天地で長年の経験と知識を生かそうと決意を新たにした翌年、新型コロナウイルスという未知の危機が世界を襲う。

2020年には東京五輪の延期が発表され、全都道府県に緊急事態宣言が発出された。感染症拡大対策のため「外出自粛」「三密回避」が必須となれば、運輸業界は大打撃を受ける。ふらのバスの売り上げは、1年間でなんと40%も落ちた。

バス路線を、会社を、従業員と家族を守らなければ。富良野観光の灯を消してはいけない。尾崎社長は立ち上がった。富良野全体で観光庁から雇用維持と事業継続を支援する助成金を受けられるよう、市内のホテルや観光施設と力を合わせて奮闘した。初めてのクラウドファンディングにも挑戦し、ドラマ「北の国から」放映40周年記念施設を巡るサポート会員プロジェクトを立ち上げ、全国から191人の支持を集めた。

手間も時間もかかる申請や手続きをやり遂げられたのは、バス会社で鍛えた事務処理能力のおかげかもしれない。1台の貸切バスを動かすにも、乗客の申し込みやバスの定員、配車、人員配置など、きめ細かなすり合わせが必要だ。バス路線の承認を受け、停留所を1カ所作るにも、さまざまな書類を用意しなければならない。尾崎社長は旭川で夜間大学を卒業後、旭川電気軌道に転職するまで、信用金庫で7年間財務や融資などを学んだ経験もある。バス事業には、事務方だからこそできるサポートもあるのだ。

入社後の大型二種免許取得を会社が支援し、ベテラン運転士が指導する研修制度も充実。バスの運転は未経験だった杉川さんも入社1年目から活躍している

尾崎社長は観光客誘致のため、あさひかわ観光誘致宣伝協議会の一員として、台湾や韓国、タイへの観光プロモーションにも参加してきた。異業種交流にも積極的に取り組み、東京のイベント会社と共に飲食や農業と連携した食のイベントを開催したこともある。すべては地域活性化のため。そして会社の利益を社員に還元するためだ。

「コロナで売り上げが落ちても会社の損益をプラスにし、社員にボーナスも出せました。苦しい時代を乗り切り、今はバスツアーに本州から参加してくださるリピーターもいらっしゃいます」と、尾崎社長は地域の魅力に期待を寄せる。

地域のおもてなしで利益を出し、社員が働きやすい環境を作る。社員が気持ちよく仕事ができれば、乗客が笑顔になる。よりよい循環を作っていくためには、毎日運転士一人一人が別々の場所で仕事をする会社で、現場の声を取りこぼさないシステムも重要だ。社員が集まる安全講習会や、年に1、2回行われる個別の面談、社員全員が加入する組合を通しての意見収集。運転士が困っていることがあったら必ず本社で集約し、対応していける体制を整えている。

富良野市内の乗合バス5路線に加え、本社(写真)と千歳営業所の2カ所を拠点として北海道各地へ貸切バスを走らせる

ふらのバスの歴史は、全路線廃止の危機を迎えたところから始まった。もともと富良野市内の路線は、尾崎社長の古巣でもある旭川電気軌道が運行していたが、マイカーの普及や過疎化により乗客が大幅に減少。大赤字のため、富良野から撤退せざるを得ない状況になってしまった。そこで市民の足を守るため、1983年に富良野市と同社の共同出資で設立されたのが、ふらのバスだ。自治体と民間が協力し、第三セクターのバス会社を設立するのは全国で初の試みだった。

これまでも、これからも、社内の仲間全員で力を合わせてバスを走らせる。そして10年後、20年後の地域の暮らしと未来を守る。それがふらのバスの願いだ。

企業概要

企業名 ふらのバス株式会社
設立年月日 会社設立 昭和58年6月21日 営業開始 昭和58年8月1日
業種・職種 旅客運送業・観光サービス業 / 運転手・窓口事務員等
業務内容 【本社・千歳営業所】旅客運送事業(乗合バス・貸切バス) 【本社】自動車管理事業(運転手手配) 【富良野旅行センター】旅行事業及びバス案内
勤務時間(一例) 運転手変形労働時間 4週6休他に年休、特休あり 運行管理者・事務員 4週8休他に年休、特休あり
給与(一例) 運転手初任給195,000円、年齢加算給有、賞与夏1.5ヶ月・冬2.5ヶ月、燃料手当、決算手当最近7ケ月 / 窓口事務員パート時給1010円
諸手当 正社員/年齢加算給有、時間外手当、貸切担当手当、路線長距離手当、運転業務追加手当、家族手当、住宅手当、燃料手当、決算手当
パート/決算手当
企業PR

1.当社はバス運行を通じてお客様が便利で安心して利用できるサービスを常に追求し、これを提供することにより地域社会、生活維持発展に貢献できる企業を目指しています。

2.当社の資本は、富良野市が33%、旭川電気軌道株式会社が67%です。よって富良野市の都市計画図づくりと連動しています。

電話番号 0167-23-3131
FAX 0167-23-3731
ホームページ https://www.furanobus.jp/
所在地 〒076-0057 富良野市住吉町1番1号 (本社) 〒066-0019 北海道千歳市流通3丁目2番6(千歳営業所) 〒076-0025 富良野市日の出町1番26号(富良野旅行センター)

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